アイヌ語地名懇親会 2019.9.8 於 神戸
埼玉県の北端に位置する上里町内に「毘沙吐（びさど）」の地名があり、この珍しい地名について
短くまとめた新聞記事（読売 2009.2.14 付）を本研究会（於 2019.4.16 京都）のときに会員の方から
紹介された。記事には、「毘沙門天」と歩きながら弓を射る「歩射」の 2 つの地名由来説が書いてあ
る。記事を紹介した方も新聞の由来説に納得できず、ご自身で縄文に遡る語源を考え、それについて
私の意見を問われた。とっさの応えがまとまらず「そういう考えも方もできますね」と曖昧な返事を
しただけだった。
上里町は私の郷里（本庄市）の隣り町であって、同町には以前から縄文地名と考えている「勅使河
原（てしがわら）」もある。また、本庄市内にも縄文地名らしき地名がいくつかある。これを機会に、
これらの地名の語源を検討することにした。
新聞記事に示された「毘沙吐」の
位置は図１の①であって、群馬県
との県境を流れる神流川の河畔に
あると書く。正確な位置と地形を
確認するため詳細な地図を広げる
が地名は見当たらない。新聞は「幕
末の 1846 年に大洪水が発生し、住
民は群馬県側に移住したまま戻ら
ず、地名だけが今日まで残ってい
る」と書く。地図には記載されず、
どこかの台帳に残っている地名のようだ。
図 2 が①地点の詳細である。
新聞記事からは、図の赤の実線
楕円の辺りが「毘沙吐」と読み取れ
る。「勅使河原」の地名は神流川東
岸にあって、実際の河原からは少
し離れた位置に記載される。しか
し、地区境界を正確に調べると、
「勅使河原」は想定した「毘沙吐」
地域も含むとわかった。
図２にはピンクに染めた島模様
がたくさんある。これらは遺跡の
「Googl マップ」に筆者加筆
図１ 検討した縄文地名の所在場所
「マッピングぐんま」に筆者加筆
図２ 勅使河原地域の拡大図
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所在地を示しており、旧石器時代から奈良・平安時代、近世に至るまでのいくつかの時代にまたがる
複合遺跡が多い。赤の点線楕円内には縄文遺跡が多く、「毘沙吐」や「勅使河原」の地名が縄文に遡
るとすれば、この遺跡の住人が地名にかかわる人たちだったと思われる。埼玉県側にも遺跡はある
が、現在のところ群馬県側ほど多くは発見されていない。
「勅使河原」とは「勅使」と「河原」を合成した地名と理解し、それぞれの言葉を辞書で検索する。
辞書に書かれる「勅使」の読みは「ちょくし」であって、「てし」はいくら探しても見当たらない。
ちょくし【勅使】 天皇の意思を伝達するために派遣される特使。（広辞苑）
かわら【河原】（カワハラの約）川辺の、水がなくて砂石の多い所。川沿いの平地。
それぞれの言葉の意味から、「勅使河原」の地名由来は「勅使田のあった河原」とする説もあるが、
こんな河原に勅使田にするほどの環境があるとは考えられない。とりあえず、ここでは「河原」は辞
書に記載された意味の言葉と捉え、「勅使（てし）」の語源のみを検討する。
縄文時代、利根川は鮭がたくさん遡上し、周辺住民にとっては鮭の捕獲が重要な食料調達手段で
あった。神流川の北側を流れ、利根川の支流となる鏑（かぶら）川の上中流域にある甘楽郡には、鮭
の捕獲・加工・保存など生活に密接に係わる縄文地名がたくさんある（大木 2016）。
神流川もまた鮭が遡上する川であって、流域の住民はその捕獲が貴重な食料調達手段であったこ
とは甘楽郡の場合と同様だったと想定できる。「てし」の語源はこの認識が重要な手がかりになる。
知里 2004 に、状況にふさわしいアイヌ語（縄文語）がある。
tes, -i てシ ①編み連ねたもの；つら（連）。 ②魚をとるトメ（止）。木や柴で川瀬を横断する
垣を造り登ってくるサケマスを捕る施設。登り魚をとるヤナ（梁）。 ③ヤナ垣みた
いに川を横切って石をならべたもの。＝suma-～。 ④ヤナ垣みたいに川を横断して
いる岩礁。＝kama-～。 ⑤川底岩盤；岩床 （知里 2004）
この場所は、縄文の人たちが遡上する鮭を捕獲するための仕掛けを設置したところだったに違い
ない。仕掛けを意味する「テシ」がそのまま地名「てし」になったのである。「勅使」の漢字を使用
した理由は不明だが、「てし」に「勅使」の漢字をあて、発祥の場所を示す「河原」を付けたのは後
の時代であろう。
「てし」の検討で示したように、「毘沙吐」地域は「勅使河原」地名が発祥した場所とほとんど重
なる。とすれば、「びさど」も遡上する鮭に関係する名称である可能性が高い。「びさど」の「び」
としては、河原の浅瀬をイメージしてアイヌ語（縄文語）「pi ぴ」が適切な言葉として思い浮かぶ。
意味は「石、小石」である。東北・北海道では「ピ・ナイ 小石の川」などとして使われ、「比内」
の日本語地名として現存する。近年は比内地鶏が地域の名産として知られる。
「びさど」の「さ」には「sat サツ」を当てる。札幌の「サッ」であって、意味は「水の枯れてい
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る、乾いている」である。「さっぽろ」の語源は「サッ・ポロ・ペツ」、意味は「乾いた・大きな・
川」である。札幌市内には石狩川支流の豊平川が流れる。今は堤防で流路が固定されているが、かつ
ては堤防も無く蛇行して流れ、流域をときどき変えた。札幌市街地に相当する地域は、豊平川のもと
の流域で小石の広がりであった。そこで、その場所を「サッ・ポロ・ペッ」と呼び、「ペッ」が省略
されて「サッポロ」になった（山田 1983-3）。
「乾いた・大きな・川」から、「水の流れがなくなった、干上がった大きな川」を連想するが、そ
のような状態を示す言葉ではないことを「sat サツ」の言葉に確認しておく。
ついでに、豊平川の「とよひら」の語源についても触れておこう。
かつて豊平橋の付近に 5～6ｍの河岸段丘があり、その段丘がボロボロと崩れる状態であった。そ
の状態をアイヌ語で「トウイ・ピラ 崩れる・崖」といい、それが「といひら」を経て「とよひら」
の和名になり、豊平川の名が付けられたのは明治になってからである。松浦武四郎の調査による、と
山田は書く。名称のもとになった河岸段丘は整地され、今は無い。（山田 1983-1）
豊平の地名は、「八ヶ岳の西麓に花開いた縄文文化の地」といわれる中央本線茅野駅の東側にもあ
る。国宝の土偶「縄文のビーナス」や「仮面の女神」が発見された地域である。茅野駅の東側、町並
みを外れた辺りから豊平地名は始まる。他の地名が虫食い状に混じるものの、東に行くほど範囲を
広げその先にある八ヶ岳の麓から山頂付近までの広大な一帯が豊平の地名である。この豊平の語源
も「トウイ・ピラ 崩れる・崖」であって、ここに住んで土偶を作った縄文の人たちは、今私たちが
八ヶ岳と呼ぶ山峰を「トウイ・ピラ」と呼び、そこに「神」を見ていたのである。このことについて
は折をみて、詳しく説明したいと思っている。
話が少々横道にそれた。「びさど」に戻る。
「びさど」の「ど」は「nay ナイ 川、沢」が転訛した結果と考えている。「ナイ → ダイ → ド」
であるが、地名でこのような転訛の事例をこれまでに見聞したことはない。だが、「境内（けいだ
い）」「内裏（だいり）」なども「ない」→「だい」の転訛である。そして、付近にそれらしき地名
がある。「毘沙吐」の下流約 10km の利根川流域で本庄市に入ったところに、山王堂（さんのうど
う）、榜示堂（ほうじどう）の地名がある（図３参照）。この地名は今回の検討対象ではないが、こ
の「どう」も「ナイ 」からの転訛と思っている。地名ではないが「境内（けいだい）」「内裏（だい
り）」などの「だい」も「ない」からの転訛である。北関東の方言として、清音を濁音にして発音す
る習性がある。「ナイ → ダイ → ド（ドウ）」の転訛は、その習性の原点にあると考えられる。
図２に見るようにこの辺りは、利根川・烏川・神流川の合流点に近い。堤防がない時代において
は、梅雨・台風・雪解け・豪雨などによる出水で岸辺が見えなくなるほど水が溢れる状況になること
は容易に想像できる。神流川には暴れ川の異名がある。神流川の「かんな」の語源は「kamuy nay
カムイ・ナイ」と考えている。縄文の神は「kur クル」なので、この場合の「カムイ」は「神」ではな
く「魔」であって、「カムイナイ」で「暴れ川」を表現する。利根川・烏川・神流川が合流する辺り
一帯を「カムイナイ」と呼び、しだいに一つの流域に名称が固定化されて神流川になったと考える。
「カムイナイ → カムナ → カンナ」の転訛である。
江戸時代、参勤交代などに使用する街道として、この付近に中山道が整備される（図２）。現在ほ
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どには頑強でない築堤もされるが、河川の氾濫に備えて山側へ 10km ほど離れた位置に、通称姫街
道と称する迂回道を準備したほどである。
雨期が過ぎると川の水の流れは細くなり、流域一帯は小石が広がる河原となって「サッポロペッ」
と命名されたような状況に近づく。これが「ピサツナイ」であって、台風シーズンが終わり鮭が遡上
する時節になると、一帯はこのような状況になる。図２の点線楕円内に住む縄文の人たちにとって、
鮭を捕獲する最適な場所が河原の広がる「毘沙吐」地域であった。自分たちの生活に密接に関わるこ
の時期の川の状況を「ピサツナイ」と称し、それが地名になったのである。北海道には札比内（さっ
ぴない）、岩手県には佐比内（さひない）があり、これらの語源は「sat pi nay サツ・ピ・ナイ」で
あり、「pi sat nay ピ・サツ・ナイ」とは語順が入れ代った地名と思われる。
「びさど」の語源は「pi sat nay ピ・サツ・ナイ」、意味は「小石・乾いた・川」である。言葉の
転訛は「ピサツナイ → ピサダイ → ビサド」になる。「ピサツナイ」の範囲としては、図 2 の実
線楕円内だけでなく、彼らの生活圏にもう少し近く、そして対岸までを含む一点鎖線楕円が想定さ
れる。
本項の結論としては、図２の点線楕円内に住む縄文の人たちが、遡上する鮭を捕獲するするため
の場所を「ピサツナイ」と呼び、仕掛けを「テシ」と呼んだ。その呼称が、地名「毘沙吐」「勅使河
原」になって後世に伝わったということになる。
先に、「さっぽろ」の語源は「サッポロペツ」、意味は「乾いた・大きな・川」と説明した。しか
し、何故この場所に名称を付ける必要があったのか、その理由を資料は明らかにしていない。
地名とは人が活動した痕跡であって、単に、そこに山があるから、川があるから名前をつけるので
はない。人体部位の名称などと同様に、その山や川に呼称が必要だから、あったほうが便利だから名
称をつけるのであって、野山に出て目標とするものに名称がなければ、その場所を他の人に伝えら
れないし、会話も成り立たない。
「サッポロペツ」も、この地域が豊平川の古い流域で小石が広がる河原状の場所であるとの理由だ
けでは名称を付けないと思う。付近の住民にとってこの場所が必要だったから､重要だったから名称
を付けたに違いない。「ピサツナイ」と同様に、この場所は遡上する鮭を捕獲する場所だったのでは
ないだろうか。
地名には、喜び、悲しみ、怒り、感動などの想いが込められることもある。私は地名の語源を検討
するとき、語源とする言葉と現在名との音韻が近いことを示し、意味が地形・地象などを適切に描写
していることを示すのは当然であって、誰が、いつ､何のために、その名前を付けたのか、必然性や
必要性、名付けた人の想いまでも汲取るように心掛けている。そうすることによって、自分自身がそ
の場に居合わせているような気持ちになれるし、検討が深まって思いがけない状況に辿り着くこと
もある。他の人に伝えるときも、理解してもらい易いのではないか、と思っている。
私の郷里（本庄市）には縄文に遡ると思える地名が、いくつかある。仁手・五十子・榛沢・若泉公
園 であって、いずれも子供のときから知る地名である。図３は図１の①の範囲を少し広げて拡大
した図であり、それぞれの地名の場所を赤楕円で示した。毘沙吐、勅使河原も記しているので互いの
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位置関係がわかる。先に述べた
山王堂や傍示堂も記入した。
地形について簡単に説明す
る。地域全体は関東平野の一部
を構成する。図の元小山川から
小山川の北側は利根川によっ
て浸食された低地である。南側
は、古い時代に浅間山などの噴
火による降灰が堆積し、その後
風化した、いわゆるローム層の
台地であって北部武蔵野台地
と呼ばれる。図の右下にある志
戸川はこの台地を二分するよ
うに流れる。
「国土地理院電子地図」に筆者加筆
図３ 本庄地域の詳細図
「段丘の崖地」と表示した部分は利根川による侵食低地と台地の境界が明確に残っている箇所で
あって、標高差約 10ｍの段丘を造る。段丘の根元からは清水が湧き、元小山川の源泉になっている。
清水を最も多く湧き出すところが若泉公園である。
私は町中に住み、若泉公園へは家から歩いて５分ほどの距離にあって、子供の頃はしばしば遊び
に行ったなつかしい場所である。仁手・五十子・榛沢は町中から少し距離があって頻繁に行くところ
ではなかったため、方向を知る程度で正確な位置は認識していなかった。その場所を地図で改めて
確認することによって、面白いことに気付く。いずれも町の東方に位置し、その東には深谷市に所属
する縄文後期から晩期（4500～2800 年前）の多くの縄文遺跡が発見されていて、図に★印で示した。
３つの地名は遺跡群の西方を囲むように並び、地名が縄文に遡るならば、これらの遺跡に住んだ縄
文の人たちが残した地名ではないかと思う。
仁手（にって）に似た地名として、埼玉県、群馬県内に仁田（にた、にだ）、新田（にった）、沼
田（ぬまた）、野田（のだ） などがある。全国的にも似た地名は各所にあり、ほとんど全てが低湿
地に所在する。仁手（にって）も利根川河畔の低湿地にある。
語源はアイヌ語（縄文語）「ニタツ」で違いなかろう。
nitat, -i ニたツ ①湿地；やち。【チカブミ】林間の湿地。 （知里 2004）
仁手は利根川の河畔にあり、住居には適しない場所だったので、どじょう、たにし、しじみ など
を採取したところではないだろうか。
図３に示すように縄文集落のある場所の真西に位置し、小山川とその支流の間にある台地上の凹
地である。
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アイヌ語地名懇親会 2019.9.8 於 神戸
知里 2004 は次の２語を記す。
ika いカ（完）またぐ；越える；溢れる。【＜i-kasu（それ・の上を越す）】
kot, -i こッ 凹み：凹地；；凹んだ跡、沢；谷：谷間
この二つの語を見れば「いかっこ」の意味は明白である。降雨があると、それほどの大雨でなくと
も水が溢れ出るような凹地の地形を言い表している。降雨時は出水を警戒しなければならない場所
だったに違いない。
小山川を挟んで「五十子」の反対側に位置し、域内では縄文遺跡も発見されている。
「榛沢」と「沢」が付いた地名であるが、ここには「沢」というほどの沢はない。「榛沢」の「沢」
は谷川の意味ではなく、「us-i」から転訛して関東甲信越地方で使用された縄文の方言「サワ」であ
って、意味は「・・・がある（いる）ところ、・・・が群在するところ」である（大木 2019）。
「はんざわ」の「はん」は、知里 1978 に記された次の説明を参考にしたい。
『日本語「アザミ」を意味するアイヌ語に「an-cha-mi アンチャミ」があり、訛って「ham」にな
った。アザミ類は若葉を湯がいて汁の実にしたり、脚気のときは煎じて服用したりした。』
「はんざわ」の「はん」にはこの「ham」を当てる。したがって「はんざわ」の語源は
「ham us-i ハム・ウス・イ」、意味は「アザミ・群生する・ところ」であって、「はんざわ」への
転訛は次のようになる。
ham us-i ハム・ウス・イ → hamu su-wi ハムスウィ → hamusawa ハムサワ → ハンザワ
図３に示す新幹線の南側からも縄文遺跡が発見されている。榛沢地区はこれらの遺跡の住人がア
ザミを主とした食用の野草や薬草などを採取するため日常的に出かける場所だったのであろう。
ついでだが、地域によってアザミの新芽は今もスーパーに並び、味噌汁の具として食されるよう
だ。私は経験がないので一度食べてみたい。また、「アザミ」と「an-cha-mi アンチャミ」は発音が
近い。「an-cha-mi アンチャミ」が訛って「アザミ」になったのではないだろうか。
私にとって、若泉公園は子供のころからの懐かしいところではあるが、「若泉」の名称に特に関心
を持つことはなかった。縄文の言葉の研究をするようになってからは、「若泉」の「若」の語源はア
イヌ語（縄文語）「ワッカ 水」であって、時代が下ってから「ワッカ」が「わか」になり、これに
和語「泉」が付いて「若泉」になったと考え、本項もその方向でまとめるつもりで出発した。
文章を書き始めたとき、「ワッカ」だけで地名にすることに違和感を覚えた。「水を汲む」とか「冷
たい水」のように、「水」を説明する言葉がないと地名語としては不完全と考えたからである。ここ
の場合、「水が湧く」のような言葉になれば都合が良い。同時に、縄文の言葉「ワッカ」と和語「泉」
を重箱のように重ねて「若泉」とする考えにも抵抗を感ずるようになる。
「若泉」の言葉としての現状調査から始めることにした。
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「若泉」姓は茨城県・福島県・東京都に多く、全国で約 1400 人いる。姓の発祥は武蔵国児玉郡若
泉庄にあるという。若泉庄の領域は、現在の本庄市のほぼ全域、神川町、上里町、深谷市の一部であ
り、図３に示す埼玉県側（利根川・神流川の南側）のほぼ全域が相当したようである。ということは、
若泉公園は若泉庄の中に所在したことになる。そして、若泉庄とは荘園制のあった平安時代の名称
であって、この時点で地名として定着していることから、「若泉」とは平安時代よりさらに古い地名
であるとわかる。若泉庄に相当する地域内に「若泉」が付く地名を探したが、若泉公園以外には見当
たらない。庄名の発祥は若泉公園の場所以外にはないようである。
このような「若泉」の歴史を見ると、「若泉」の語源は、「わか」と「いずみ」の組み合わせでは
なく、「わかいずみ」を一語と見なして検討しなければならないと思うようになった。とすれば、
「いずみ」の語源について、現状の知見を知る必要がある。
国語辞典は「いずみ」を次のように書く。
いずみ【泉】（「出水 イズミ」の意）自然に地中からわき出る水（がたまっている場所）。
いくつかの語源辞典も調べたが、語源は「出水（イズミあるいはイヅミ）」とある。「いずみ」
の言葉の意味に疑問の余地はない。しかし、語源が「出水」とする説は素直には受容れられない。
「出水」の漢字からは清涼な湧き水ではなく、水害のような悪い事象を想い起す。
日本に正式に漢字がもたらされるのは、5 世紀初め王任・阿直岐が漢籍と伴に百済から招かれたと
きである。その後、６世紀前半仏典と伴に仏教が伝来したときに仏僧を中心とした上層階級の人た
ちが漢字を学習し、訓読みが確立するのは６,７世紀とされる。「出水 イズミ」とは訓読みであって、
「いずみ」の語源が「出水」にあるとするならば、「水が湧くところ」の意味の漢字「泉」が日本
語として採用された経緯は次のようになる。
① 訓読みの確立する 6,7 世紀以前には、「いずみ」に相当する言葉は日本に存在しなかった。
② 6,7 世紀以降に、漢字「出（いづ）」と「水（み）」を組み合わせて「水が湧くところ」の
意味の「出水（いずみ）」という言葉を作る。
③ その後、この「出水」を「水が湧くところ」の意味の一字の漢字「泉」に変更し、この漢
字を「いずみ」と読ませた。
なぜ、こんなに面倒なことをしなければいけないのか。「水が湧くところ」の意味の言葉が日
本にないなら、もたらされた漢字の中から同様な意味を有する「泉」、音読み「せん」を最初か
らそのまま日本語として採用すればよい。今でも、外国語をそのままの発音で日本語として採用
し、用いる事例はいくらでもある。だいたい、6,7 世紀以前に生活に密接に関わるこの言葉が日
本に存在しなかったという考え方自体がおかしいと思う。
６，７世紀のころには、「水が湧くところ」の意味の言葉「いずみ」はすでに存在し、訓読み
が確立したのちに、その「いずみ」に漢字「泉」を当てた、と考えるのが素直ではないだろうか。
すなわち、「いずみ」の語源は「出水」ではなく、他に存在する、ということである。
ここから「わかいずみ」の語源の検討になる。
これまでの経験を頼りに、まず「わかいずみ」をアイヌ語らしい言葉の構造に書き直すと「わか・
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い・ずむ・い」になる。次に「わか・い・ずむ・い」それぞれの単語にふさわしいアイヌ語を当ては
める。先頭の「わか」は主語に相当する名詞であって、この場合はアイヌ語「wakka 水」で問題な
い。最初の「い」はアイヌ語特有な接辞的な単語であって、これがないとアイヌ語として通じない大
切な単語である。「e-,o-,ko- 」が使用される語だが、ここでは「e-」を採用する。「ずむ」は動詞で
あって、とりあえず「湧く」のような意味のアイヌ語を想定する。最後の「い」は場所を表わす語で
あって、ここではアイヌ語「-i」、意味は「ところ」を当てる。したがって、「わか・い・ずむ・い」
は「ワッカ・エ・（ずむ）・イ」となり、逐語訳は「水が・そこに・（湧く）・ところ」になる。
「ずむ」に相当する動詞のアイヌ語を探さねばならない。知里 2004 などを検索するが適切な言葉
を見つけられない。
改めて知里 2004 の「wakka」を見ると、その２段下に次の言葉が記載されている。
wakka-e-tuk-i わクカエトウキ 【ビホロ】山中の水の湧く穴。（＝kamuy simpuy, -e）。
［水が・そこに・出てくる・所］
この言葉の構造は、「わクカエトウキ」ではわかりにくく、「wakka-e-tuk-i」がわかりやすい。カ
ナで書くと「ワッカ・エ・トゥク・イ」になり、「わかいずみ」をアイヌ語らしい構文にした「ワッ
カ・エ・（ずむ）・イ」と全く同じ構造であるとわかる。意味も「水が・そこに・出てくる・所」で
あって、「ワッカ・エ・（ずむ）・イ」に期待した意味と全く同じだ。違いは「トゥク」と「ずむ」。
tuk トウク（完）出る；生える （知里 2004）
「ワッカ・エ・トゥク・イ」が「わかいずみ」の語源であるとすれば、転訛は次のようになる。
ワッカ・エ・トゥク・イ → ワッカエトゥキ → ワカエツキ → ワカイツミ → ワカイズミ
「キ」→「ミ」の転訛に多少の抵抗はあるが、それほど不自然ではない。「わか・い・ずむ・い」
と「ワッカ・エ・トゥク・イ」の言葉の構造と意味が全く同じであることを考慮すれば、「わかいず
み」の語源は「ワッカ・エ・トゥク・イ」と考えて間違いなさそうである。
以上の検討結果から次の結論を得る。
縄文の言葉「ワッカ・エ・トゥク・イ」、意味は「水が・そこに・出てくる・所」、が「わかいず
み」に転訛する。その後、「わかいずみ」から「わか」が省略されて「いずみ」になるが、意味「水
が出てくるところ」はそのまま引き継がれる。すなわち、「いずみ」の語源は「わかいずみ」であっ
て、さらに縄文まで遡れば「ワッカ・エ・トゥク・イ」ということになる。
知里 2004 の「simpuy 湧水の穴、自然の井戸」の説明の中に次の記述がある。
『野山で自然の井戸から水をくむときは、かならず井戸の神に木弊を立てて、あなたのお乳をい
ただきます、と祈ってからくむ。祈りの中では井戸の水を神様のお乳と言う。』
縄文のころ、本庄地域で清涼な湧水を確保できる場所は限られた。周辺の住人や出先にある人た
ちにとって、若泉公園の湧水は貴重な存在であって、神に祈りながら水を汲む、そのようなところだ
ったに違いない。それゆえ、「ワッカ・エ・トゥク・イ」から転訛した「わかいずみ」が後世におい
ても地域を代表する地名になり、若泉庄という荘園の名称にまでなったのではないだろうか。
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アイヌ語地名懇親会 2019.9.8 於 神戸
「若泉」の語源は、「わか」と「いずみ」の組合わせではなく、「わかいずみ」を一語と見なして
検討し、予想した以上の結果を得た。「てしがわら」も「てし」と「かわら」の組合わせではなく、
「てしがわら」が一語であって、「わかいずみ」と同じ構造の言葉かもしれない。
「勅使河原」姓は全国に 3400 人ほどいて、姓の発祥は上里町のこの場所にあるという。そして、
地名は平安時代に遡るとも伝えられる。これらのことは「若泉」の言葉が持つ歴史的背景とよく似て
いる。「てしがわら」は一語であるとの想いがますます強くなる。
以下、「てしがわら」の追加検討である。
「わかいずみ」と同じように、「てしがわら」をアイヌ語らしい言葉の構造に書き直すと「てし・
が・わ・ら」になる。それぞれの語にふさわしいアイヌ語を当てはめる。「てし」には前述のアイヌ
語「tes」、意味も前記のとおり。「が」には「e-,o-,ko- 」の中から「ko-」を採用する。「わ」「ら」
は、知里 2004 を検索して、それぞれに次の言葉を当てる。
wa わ 【Ｈ北；Ｋ】（不完）水中を歩いてわたる；徒渉する。nay ～ 川を徒渉する
ra ら（ら－） ①低い所。（対 → rik）。
「てし・が・わ・ら」の語源は「tes・ko・wa・ra」となり、カナで書くと「テシ・コ・ワ・ラ」、
意味は「（鮭を捕る）仕掛け・そこは・徒渉する・低いところ」となる。
非常に具体的な地名である。普段は対岸へ往き来する際に川を徒渉する場所であるが、シーズン
になると鮭を捕るための仕掛けを設置する場所にもなる、そのような状況を説明した言葉と理解で
きる。それにしても、驚くほどリアルな表現である。リアル過ぎて、この解釈で正しいのだろうか、
と戸惑うほどである。
「勅使河原」は「勅使」と「河原」の合成語との考えは、常識的ではあるが大きな間違いだった。
「テシコワラ」が語源であって、「てしがわら」に転訛したのち、「勅使河原」の漢字を当てて地名
や姓に使うようになる。その後、「河原」が独立し、辞書に書かれた意味を持つ言葉として広く使わ
れるようになった、ということになる。
「毘沙吐（びさど）」の語源は「pi sat nay ピ・サツ・ナイ」であって、鮭漁のために重要な場所
であるがゆえの地名である、と前に記した。それだけでなく、この場所は普段においても川を徒渉す
るために重要な場所であるがゆえの地名でもあった、ということを追記する。したがって、「ピサツ
ナイ」は年間をとおしての地名、そして鮭漁のシーズンに限っての地名が「テシコワラ」であって、
二つは同じ場所の名称だった、ということになる。
本庄市の東隣の町が岡部町であって、現在は合併して深谷市の一部になっている。旧岡部町は図
３に示す JR 岡部駅の辺りを中心にして広がり、北辺は小山川を本庄市との境にする。本庄市内に所
在するとして説明した「榛沢」は旧岡部町、現在は深谷市に所属する。
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アイヌ語「ペツ」「ナイ」は「川、沢」の意味であって、現在では語尾に「部、別、辺、内」など
が付く地名になっている。北海道や東北地方では「ペツ」「ナイ」地名がアイヌ語地名の数 10％に
もなるという代表的なアイヌ語地名である。
「岡部」の「部」は、この「ペツ」である。図３に示す縄文遺跡の分布状況から、この遺跡に住ん
だ縄文の人たちが、周囲を流れる小山川・志戸川を「（おか）・ペツ」と呼び、それが「おかべ」に
なったと考える。すなわち、「おかべ」の語源は「（おか）・ペツ」であって、検討は「おか」に相
当するアイヌ語（縄文語）を探すことになる。
図３に見るように、縄文遺跡のある台地の縁を北流する志戸川が、約 90°方向を変えて小山川に
合流する。この景観を見て、知里 2004 から次の言葉を検索する。
ok, -i おク ①えりくび；うなじ ②悲嘆
知里 2004 は「古い時代のアイヌは、川を人間同様の生物と考えていた」と記す。ここに住んだ縄
文の人たちも、この川を人間同様な生物と考え、約 90°方向を変える川の流れを女性のうなじに見
立て、「オクペ」と称したのである。意味は「えりくび（の形をした）川」であって、「オクペ」が
転訛して「おかべ」になった。それにしても艶っぽい名称だ。近現代でも女性の襟足を強調した美人
画が多くある。縄文の人たちの遊び心が垣間見える。
ここに縄文遺跡がまとまっているのは、この下の河原は鮭漁をするための重要な場所だったに違
いない。そのような場所だから名称を付けたのである。「おかべ」とは地名ではなく川の名称だった
が、地域を象徴する川であったため、その川名が地名にまでなった。現在の「岡部」と称する地域は
図３の右下に位置する。名称の発祥地点とは少し離れるが、歴史の流れの中で移動していったので
あろう。
自分の極周辺にこれだけの縄文地名があることに気付かなかった。特に、子供のときから親しん
できた若泉公園の「若泉」、当然のようにあった「勅使河原」、それぞれの地名の語源は縄文まで遡
り、その後転訛して普通名詞「泉」「河原」の語源にもなったとの結果を得たことに、縄文の言葉の
奥深さ、面白さ、身近さ を改めて実感する。
参考文献
大木紀通 2016 古代の謎を解く「縄文の言葉」 花伝社
大木紀通 2019 「軽井沢」の「沢（さわ）」は谷川の意味ではない 第 10 回アイヌ語地名懇親会
知里真志保著 2004 地名アイヌ語小辞典 北海道出版企画センター
知里真志保著作集 1978 別巻Ⅰ 分類アイヌ語辞典 植物編 平凡社
山田秀三 1983-1 アイヌ語地名の研究 第 1 巻 草風館
山田秀三 1983-2 アイヌ語地名の研究 第 2 巻 草風館
山田秀三 1983-3 アイヌ語地名の研究 第 3 巻 草風館
川村兼一 監修、太田満 執筆・校閲 2005 旭川アイヌ語辞典 アイヌ語研究所
永田方正 復刻（1890 初版）北海道蝦夷語地名解 草風館
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