菱刈・大口から人吉へ
2007 2/16
４５年ぶりの故郷鹿児島での高校の同窓会参加し、卒業後初めて話を交えられた同級生
もあり、故郷での同窓会は格別な出来事ではあったが、次の日には鹿児島市内から北を目
指して、日本一の金山のある菱刈町、これぞ縄文地名の代表と考えている大口市、さらに
県境を越えて、相良氏の本拠であった人吉市へと向かい、今回の旅を終えることにした。
鹿児島市内から九州自動車道を北上し、栗野インターで降りて、国道268などを川内
川に沿って北西に走ると菱刈町の市街地に出た。有名な日本一の金を産出する菱刈鉱山は
ここから直線距離で東に約5Ｋｍの地点にある。
図 １．鹿児島県伊佐郡菱刈町中心部の拡大地形図も
町役場から西へ入ったところに菱刈町いきがいセンターがあり、図書館の奥に郷土資料
館があり、貸し切り状態での資料閲覧をさせていただいた。日本一の金鉱の町だけあって、
展示資料は豊富で、整備されたパネルや民芸品の他、多くの縄文時代早期からの遺跡品も
多く展示されており、この地が縄文早期からにぎわっていた地であることがわかる。
かつての中央政治の痕跡はこの地にもおよびその後のこの地の戦乱に大きく関わってい
るが、ここではひとまず地名の話から入ってみよう。
「菱刈町文化財案内」には「菱刈」の地名由来について、
「菱刈の名称は古くは大口・菱刈の総称であった。続日本紀によると、奈良時代、今から
およそ1230年くらい前に大隅の国に菱刈村を中心に菱刈郡がおかれた。
菱刈の名称の由来は、和名抄に「比志加里」とよませ、「此地菱多ク産セシ故其名を得
タリ」と出ている。
そして、菱刈郡に波野・亡野・大水・菱刈の四郷をのせている。波野・亡野・大水を今
の羽月、山野・大口と考えれば、現在の大口・菱刈がそのまま菱刈郡である。
平安時代、・・・・・・・・・・・・・総合すると、菱刈は現在の菱刈町を中心にした
大隅薩摩にまたがった川内川流域の総称であったとみられる。」 とある。
「菱」は水たまりの池などに自然に生える浮き草である水草に実を付ける。従って川の
流れのあるところにでは生えても水に流され実を付けにくい。大口は盆地であり、かつて
は湖状の地であったと思われるから上記の「菱の実」説は相応しいが、現在の菱刈町の中
心部における川内川の流れは速く、菱刈では菱の実は育ちにくかったのではないだろうか。
和名抄では大口と菱刈郷は異なるとされているからこの地に相応しい地名説話には思えな
い。
ちなみにアイヌ語では「菱の実」は、（pekanpe＜pe-ka-un-pe:水の上にあるもの）
であり、（yukusto＜i-uk-us-to:それ（菱の実）をいつも取る池）などが地名用語とし
て残されている。
菱刈町の中心部の地形をみるとこの地の地形特徴を表わしているように思える。川内川
の中流域のこの地では川の流れは速く、ここで大きく蛇行している。また、人での加わら
ない自然堤防のかつての河川域がそのまま地形に表わされている。上図での水の流れは右
下から左上へ。
アイヌ・縄文語地名としては下記のように考える。
菱刈町 ヒシカリ pi-us-kar-i 石が群在する（流れが）曲がった所
かつての菱刈氏が城を築いたところが太良城であり、治めていた地が太良院、菱刈院で
あったことからも言えるのではないだろうか。ちなみに、
太良城 タラ tar （水の流れが）踊る（川）、滝川
（人が）踊る（所）、祭場
菱刈氏は藤原氏北家の出で鎌倉御家人としてこの地に下ってきて、この地を治め、その
出自を下記のように伝えている。
「菱刈氏のルーツは藤原氏とされています。藤原頼長が保元の乱で、崇徳上皇側につき、
敗北したため一族は流刑に処せられる中、頼長の孫に当たる重妙は、幼少ということで比
叡山に預けられます。
その後後白河法皇によって重妙に菱刈両院約七百町歩を与えます。菱刈両院とは牛屎院
・太良院と呼ばれているところで、現在の大口市と菱刈町に当たる地域です。ところがこ
の時は重妙がまだ幼く現地に下向することができなかったのですが、再び源頼朝によって
両院が重妙に与えられ、このときをもって重妙は弟師重と伴に薩摩の地に下ってきます。
この時、この両院の統治の本拠として構えた城が、この太良城ということになります。
戦国時代になり、島津氏が北薩摩へ進出してくると、島津氏との抗争の拠点はもっぱ
ら大口市の大口城を舞台にして戦われていきます。
大口には一族の守護神として宇佐八幡宮を勧請した郡山八幡神社が残されています。」
（注記：菱刈両院とは菱刈院、太良院のことであろう。牛屎院へは桓武平氏を称する牛屎
氏がおり、菱刈氏に対向していた。）
菱刈氏は戦国時代北薩の雄として君臨し、藤原南家の出の鎌倉御家人、相良氏と組んで
牛屎氏を滅亡させるが、全盛期の島津氏との争いに敗れ、約370年間の治世を終えてい
る。
なお、大口の元の地名、大水（オオムツ）郷、牛山城、牛屎院などはここがかつて湖で
あったと考えると地名の意味が理解できるし、地形もその通りであっただろう。
大水郷 オオムツ oho-mu-to 山奥深く塞がった湖
牛屎院 ウシクソ us,i-kus-o 湾（状の湖）を舟で渡す所/川口
牛山 ウシ us,i
湾（状の湖）（の山）
なお、ウシクソとはひどい名前であるが、相良氏に牛屎院を追われ、一時樋脇城に移っ
たときに、太秦姓を名乗り、またもとの平姓を名乗ったり少しは姓名を気にしていたので
あろうか。
なお、大口地名が何時頃から文献に現れるか気になるが、大口郷土史の地名欄で見ると、
太秦氏忠誠録に牛山城は牟田口城または大口城として記録されているそうである。
島津氏の全盛時期、島津貴久、義久、義広、家久に使えた文芸にも優れたが、「鬼武蔵」
と呼ばれ、多くの武勇をほこる島津氏一族の新納忠元は大口地頭としてこの地に赴任し、
この地でなくなり、この地に忠元神社が残されている。
「大口」地名が縄文地名の代表としてふさわしいと考えるのは下記の地形図が何よりも
物語っている。
図 2.鹿児島県大口市周辺の伊佐地方地形図
ここは鹿児島県一の大河である川内川の中流域であるが、川内川の上流はここから東に、
霧島連山の東裾の宮崎県えびの市をさらにさかのぼり、さらに北に熊本県に入り、白髪山
1714mの西麓に源を発している。ここ大口でも支流ではあるが数多くの支流を集めてい
る。間違いなくここが沼地、みずうみのあとであることを地名から見てきた。古代人のア
ニミズム感覚からすれば生き物である川が合流するところは、その次に子供の川を産む動
作そのもの、生き物である川の交尾の現場であったのである。
大口市 オオクチ o-u-kot-i 尾をお互いにくっつけ合う所
いたる所にその現場が見られる所である。同名、同類の地名が各地にあるが、北海道で
は興津（オコツ;苫前郡苫前町）、奥津内（川）（オクツナイ:山越郡八雲町）、興部町/西興
部村（オコッペ:紋別郡）などひそかにあるのみである。また、檜山郡江差町大澗の海岸
は「おこない浜」と呼ばれていたがこの「オコナイ」も「オクツナイ」ともともと同じ地
名である。この「オコナイ」地名も北海道以外にも下記のようにある。
行内沢 秋田県鹿角市（沢名）
小子内 岩手県九戸郡種市町
現在の大口市を通ってもこの地がこのような特異な地形であることを見いだすのは難し
い。地形図で見て初めて分かる地形ではないだろうか。
気になる地名は下記のようである。
伊佐郡 イサ i-sa その（獲物の多い）浜
川内川 センダイ sem(pir)-tay 日陰の林
井立田川 イタツタ i-tattar そこで踊り踊る（川）、滝川
平出水 ヒライズミ pira-etu-muy 崖の出崎の入江（入込んだ所）
園田 ソノダ so-not-ta 岩/岩礁の出崎の所
鳥巣 トリス tur-i-su 伸びているもの、出崎の窪地
大田 オオタ o-ota 川口の砂浜
高隈山 タカクマ ta-ka-kuma 切り立った上手の横山
篠原 シノハラ sinot-para 群れ遊ぶ広場、祭場
sin-not-para 山の出崎の広場
多々良石 タタライシ tattar-us-i いつも踊り踊る所、祭場
目丸 メマエ mem-mak-ru 涼しい／泉地の奥まった道
永尾 ナガオ na-ka-o 水辺の上手の山裾/ 川口
市山 イチヤマ i-ot-ya-oma 獲物が多い陸岸にある（所）
重留 シゲドメ sike-to(ko)m 荷物を負う（形の）小山
原田 ハラダ par-ta 川口の所
金波田 カナハダ kanna-pa-ta 上方にある山/岸の所
稲葉﨑 イナバサキ inaw-pa-san-key 幣場、祭場の出崎
荒田 アラタ ar-ta
もう一方の所
曽木 ソギ so-ke 滝の所
東洋のナイアガラと呼ばれる曽木の滝はここから少し西の川内川のダイナミックな滝で
ある。
針牟田 ハリムタ ar-mu-ta もう一方の塞がった所
八代 ヤシト ya-sito
岸辺の山の走り根
馬渡 モタイ mo-tay
小さな林
田代 タシロ ta-sir-o 切り立った山の裾
狩宿 カリシュク kar-su-ke 曲がっている鍋状の所
大口市の地名の特徴を肌で感じたいと思って訪れたが、車で走るくらいでは何も見るこ
とは出来なかった。帰りの飛行機の時間も気になり、次の目的地、相良氏の根拠地であっ
た人吉市へと急いだ。
国道267号線を北東へ約15Km走ると、九七峠へ出る。九七峠のインターネット記事
から下記のような記事を見いだした。
「鹿児島県と熊本県の境は峠から7分ほど歩いたところにあり、小さいながら頑丈な碑に
「県境」とあった。先日の新聞の投書欄に「両県がまるで対峙しているようだ」とあった
し、道路向いの案内板には「昔、大口に久七という知恵者がいて、境の石を少しずつ動か
した。」さらに「ヨーロッパの国境線並」と書いてあった。”一所懸命”の時代のことだ。」
とあり、本来なら標高732mの久七峠にあるべき県境が約500m先の峠を下りかけた
ところにある意味のことである意味と解釈しておもしろかった。
この国境を通して戦国時代の領地拡大を目指す相良氏、島津氏の軍勢の行き交った道で
あったようである。
相良氏は異説もあるが、藤原南家の出自でもとは遠江国榛原郡相良庄に住み、荘官職で
あり平氏方の武士であったが、平家滅亡時領地没収にはなったが、謝罪に努め許され、肥
後国球磨郡多良木荘をたまわり、または追放され下向した。しかし４年後鎌倉に赴き、御
家人の列に加えられている。その後源頼朝の命令で人吉荘に入り、その後の活躍により人
吉の地頭職を得ている。
南北朝の争乱はこの地においても激しい争乱となり、下克上の世そのままに敵味方が入
り乱れ昨日の味方は今日の敵と言ったような状況が続き、身内同士の争いも頻繁に起きた
が、それを乗り越えて戦国大名の道を上り詰めた。一方、南の島津氏の勢力も拡大一途で
あり、薩摩・大隅・日向の三州統一を目指す島津義久は菱刈氏・相良氏連合の守る北薩、
大口城を落とし、相良勢は北薩から一掃される。
その後、木崎原の戦いで日向の伊東氏を破り、耳川の戦いで大友宗麟の大軍を破って、
初代島津忠久が鎌倉幕府から任じられた薩摩・大隅・日向の守護職の座を力で奪還する
と、次は肥後国への進出を図り、手始めに相良氏の水俣城を落とす。八代城にいた相良義
陽は和を乞い許され、その後島津勢として肥後の阿蘇氏との戦に出て義陽は死地を選んで
亡くなっている。相良氏は肥後人吉2万2戦国の大名として近世に生き残っている。
久七峠からは胸川の川筋を一気に下り、胸川と球磨川が合流する地点に相良氏の人吉城
はある。ここは天然の地形を利用して作られた要塞であることを実感できた。インターネ
ット記事で下記のように紹介されている。
「人吉城は北側の球磨川、西側の胸川の清流を天然の堀とし、東側と南側は丘陵の断崖に
堀をめぐらせた要害堅固な城であった。丘陵の山頂部に本丸、その西北に二の丸・三の丸
・総曲輪を配し、本丸には天守は築かずに二層の護摩堂が建てられ、山麓に城主の居館が
築かれていた。
人吉城跡は国の史跡で、人吉城跡公園として整備され、平成元年に隅櫓、続いて平成５
年、大手門跡脇に多聞櫓とそれに続く長塀が復元された。
多聞櫓は大手門の脇を固めるために建てられた長屋風の櫓で、内部は資料館になってい
て、相良氏と人吉城の歴史資料や、在りし日の人吉城の模型が展示されている。
大手門周辺は城の防備に重要な場所であるので、番所を置いて重臣の屋敷を配置して戦
時に備えていた。江戸時代後期には鍵形の母屋を中心に土蔵・泉水・井戸などを配した家
老の渋谷三郎左衛門の屋敷があり、今では礎石でその跡が示されている。
隅櫓は胸川が球磨川に合流する人吉城北西隅の要所に建てられた一層の櫓で、江戸時代
後期には漆の貯蔵庫として使われていた。
大手門跡から城跡の中心部に向かって５分ほど歩いたところに堀合門跡がある。堀合門
は城主の住む御館北側入口に置かれた門で、門跡脇からは「武者返し」と呼ばれる石垣が
続く。最上部が外側に張り出したこの石垣は幕末に導入された欧州の築城技術である槹出
(はねだし)工法で築かれた人吉城独特の石垣で、必見の価値がある。
堀合門跡に向かい合うように「水の手門跡」が残る。城内に入る４ヵ所の門の一つで、
球磨川に面する水運のための門であったことからこの名がある。門外にあった舟着場から
米蔵など多くの蔵への物資の搬入に利用されていた。球磨川に面して積まれた石垣は見事
なもの。
水の手門跡近くに「左近の石」と呼ばれる巨石がある。重さ３１トン、高さ２ｍ余の安
山岩のこの巨大な石は球磨川の中に置かれていた石で、昭和４３年の河川改修工事の際に
現在地に移された。かつては中州を橋台として２つの橋が架けられていたが、増水で橋が
壊れることが多かったため、家老の村上左近の進言によって中州が流出しないように沈め
られた多数の巨岩の一つである。
主郭部へは御下門跡から登って行く。御下門は「下の御門」とも呼ばれ、本丸・二の丸
・三の丸への唯一の登城口に置かれた門で、堂々とした石垣は見ごたえがある。
石段を登って行くと広場となっている三の丸跡。周囲の景観が広がり、虎口の古びた石
垣が残る。三の丸跡から眺める二の丸跡の石垣はなかなかのもの。
三の丸跡から枡方虎口を通って二の丸跡へ。二の丸跡は周囲を石垣で固め、枡形虎口と
埋門形式の虎口が残っている。
二の丸跡から石段を登れば丘陵の頂上に築かれた本丸跡へたどり着く。本丸跡には土塁
がめぐらされ、天守ではなく護摩堂が築かれていたという。
大手門跡、水の手門跡、堀合門跡、御下門跡、そして三の丸跡・二の丸跡・本丸跡をじ
っくりと見て回れば、人吉城が丘陵の上に築かれた石垣造りの要害堅固な城だったことが
実感できる。
対岸から球磨川と胸川を隔てて人吉城跡を展望すれば、石垣と多聞櫓・長塀・隅櫓と清
流のコントラストが美しく、２万２千石でしかなかった相良氏の居城としては石高以上の
規模を誇る城だったことがうかがえる。」
なお、「胸川」の地名に関して、山の斜面を古代人はアニミズム的に、生き物である自
然の「胸」と考えていた。この胸川は県境の山岳地帯から人吉盆地へ向けて山の斜面を一
気に駆け下る川であり、古代人の「胸」の解釈そのままであろうが、「胸」の言葉は弥生
語的である。岩手県遠野市の遠野盆地東を流れる「小鳥瀬川」があるが、コトリ、（koto
r:胸板、斜面）などは縄文語で「胸」を表わしており、各地に「小鳥」地名はある。
図 3.熊本県人吉市中心部の拡大地形図
気になる地名は下記のようである。
人吉市 ヒトヨシ pi-to-i-o-us-i 石の沼の獲物のいつも群生する所
球磨川 クマ kut-oman 岩崖を山奥へ入る（川）
相良町 サガラ sa-kar 前（浜）で曲がっている（川）
泉田町 イズミダ etu-muy-ta 太地の鼻、出崎の入江の所
駒井田 コマイダ kom-i-ta コブ山のその（神の）所、祭場
浪床町 ナミトコ nam-pe-etoko 冷たい水の水源
田町 タマチ ta-matu 切り立った入込んだ入江
矢黒町 ヤグロ ya-kur-o 陸岸の日陰の山裾/川口
今回の旅はあわただしく見て回ったが収穫の多い旅ができ、また新たな挑戦への機会を
得たように感じた。