満つ、新しい、良い、について
2009 1/10
新年を迎え、このシリーズ、日本語の起源を求めるスワデッシュの基礎語彙100語の
探求も今回を含めて、残り６語となった。今までの経緯から結論は確実に見えてきている
が最終回を見た後で100語の統計結果をまとめて、その結論を述べてみたい。
スワデッシュの基礎語彙100語の中の「その他」にある、No.95.「満つ」とNo.96.
「新しい」とNo.97.「良い」と、その他の語彙が続く。
内的再構を試みる『日本語語源大辞典（小学館）』の語源説には「ミ（満）ツ」とその
関連語彙は見あたらない。「ミズ/ミヅ（水）」の語源説①に、「ミツ（満）の義。ミツ（充）
に通ず」とあった。（No.75.水 の項参照）「満たす」、「蜜」、「密」などと mit を語根と
する語家族をなすのであろうか。
ここで外的再構による語源を追ってみよう。
表 1.スワデッシュの基礎語彙No.95 full:満つ に関する南島語比較
「ミ（満）ツ」を意味する南島祖語としてO.デンプウォルフの *pənuh と、R.D.ゾル
クの *pe^nu'q とは同源としてそれらの派生語と、もう一つのゾルクの *be^su'R とそ
の派生語とに二分して結線してみた。
インターネット上で日本語の系統を追求・発表されているハンドルネーム・ロゼッタス
トーン氏の「学問の部屋」では、日本語「ミツ」について次のような南島祖語からの変化
を推定されている。
ミツ mitu < (m-)bitu' <
*be^su'R
ここでは村山七郎がアルタイ系の古代トルコ語 butu （実現される）モンゴル語のbutu
（満ちる）、中期韓国語 mit (届く）との類似を指摘されていることを知った。
なお、沖縄語 mii 、八重山諸語 m'iitt'e と台湾・サア語 milii と日本語「ミツ／ミチ」
などが類似の関係にあることが分かる。これらに関係すると思われる沖縄語 micuN と台
湾・スクリーク・アタヤル語 mes?un との類似も気になる。
アイヌ語 sik:いっぱいになる であるが、村山七郎は参考として上げた南島祖語
*t'ek-t'ek:いっぱい満ちた からの変化とある。インドネシア・ジャワ語 cukup/cekap
とあり、これらに共通の cuk ももとをたどれば上記の南島祖語 *be^su'R の語尾の幹
収縮形 *-su'R からの変化ではないだろうか。
sik < suk-/tuk- < *(be^)su'R
なお、八重山諸語には s'ikaitu とあり、台湾・ルカイ語 siaete':^ と音韻類似が認め
られるが、語頭にアイヌ語 sik があるが、日本語「シッカリ」などとも同じであるが無
関係なのであろうか。アイヌ語語源分析すれば、
sik-kar-i
満たす・する・こと
と通じ合うようであるが。
これらのアイヌ語に対する判定結果は下記の通り。
表 2.スワデッシュの基礎語彙No.95 full:満つ に関する比較結果
結果は、アイヌ語 sik は何となく南島語的と考えられるが明らかな類似に欠ける。更
なる調査が必要な今後の課題であろう。
次に「アタラシ（新）イ」に移る。『日本語語源大辞典（小学館）』の語源説を見てみよ
う。
「アタラシ（新）イ」について、
①アタラシ（可惜）の転語。新しいものは惜しく思うものであるところから転
義を生じた。
②アラタシから転訛したものか。
③アタル（相当なものだというところから、値打ちがあると感嘆する意を表わ
す）を変形させたアタラシイとアラタ（新田）から出たアラタシが発音が近
いので意味が混同した。
④アナラシキ（鳴呼如）の転。
とある。また、用法、研究課題などに［参考］事項として下記のようにある。
「①上代では「新」の意の形容詞は「あらたし」で、「あたらし」は「惜しい」の意であ
ったが、中古初期から、「新」の意も「あたらし」の語形となった。ただ、「惜」の意とは
アクセントに違いがあり、別語と考えられる。
②アラタシからアタラシへの変化は音韻転倒の典型的な例として引かれることが多い
が、変化の説明はなお考慮すべき点がある。ます、アクセントのうえでは区別できるもの
の、「惜しい」の意の形容詞アタラシと同系となり、一種の同音衝突になる点をどのよう
に考えるかが問題となる。さらに、同根の類語アラタナリ、アラタムとの類似が薄まるた
めに起こりにくくなるはずの変化が、どうして起こりえたかを明確にする必要がある。」
とある。
「アラタシ」から「アタラシ」と「ラ」と「タ」、または r 音と t 音の前後交替は音
韻転倒（メタテーゼ）の典型例であり、南島語から日本語、またはアイヌ語を見るとしば
しば表われる例である。また、 r 音と t 音は n 音と共にそのままのいちでも相互に、
しばしば置き換わる音素でもある。アイヌ語の例では
ar-rus-sak:全く衣を欠く、裸の → atusa(-nupri):裸の（山）
ar:もう一方の → an(-nay)：もう一方の（川）
sar-ki：湿原・茅（カヤ）、茅原 → sanuki
（讃岐（サヌキ）の原義）
ri-nar:高台の平地 → ninar:台地 （奈良などのナラ地名の推定）
などとある。
ここで外的再構による語源を追ってみよう。
表 3.スワデッシュの基礎語彙No.96 new:新しい に関する南島語比較
「アタラシ（新）イ」を意味する南島祖語としてO.デンプウォルフの *baRu とその派
生語群と、その派生と思われるがR.D.ゾルクの *baq(e)RuH とその派生語と、二分して
結線してみた。
日本語の「アラタ（・シ）」に関して、アイヌ語の語源分析 ar-ta:もう一方の今 など、
「新しい」の内容を突いていると考えるが、いかがであろうか。
南島祖語 *baRu 、 *baq(e)RuH もそうであるが、派生語 -aru , -aro など -ara
のもとをなし、日本語、沖縄語、アイヌ語に共通な sara の主要部でもある。アイヌ語の
sara:空いている と「新しい」と無関係のように見えるが、日本語でも「サラチ（空地）」
であり、同源であることは間違いではないだろう。
日本語「ニヒ（新）」については南島祖語 nipit':薄 からの末尾子音の消滅の例として村
山七郎は上げておられる。
ニヒ < nipi < *nipit'
アイヌ語 asir:新しくある については類似語が台湾・パゼヘ語 xia's 、クワラン語
tas:u'? にあり、
asir < asix < xia's （メタテーゼ）
asir < (t)as:u'? （語頭子音の抹消）
であろう。
これらのアイヌ語に対する判定結果を次表にまとめてみた。
表 4.スワデッシュの基礎語彙No.96 new:新しい に関する比較結果
それぞれ南島祖語、南島語諸語とも類似語があり、南島語系統といえるであろう。
次に「ヨ（良）イ」に移る。古くは「ヨ（ロ）・シ」である。この語に関しては『日本語語源大辞典
（小学館）』の語源説には見つからない。
ここで外的再構による語源を追ってみよう。
表 5.スワデッシュの基礎語彙No.97 good:良い に関する南島語比較
「ヨ（良）イ」を意味する南島祖語としてO.デンプウォルフの *baik とその派生語と、
もう一つは意味はずれるが、*pilih:選ぶ とその派生語と、R.D.ゾルクの祖語 *(ma)dia
とその派生語と、もう一つの *(ma)pia' とその派生語とを四分して結線してみた。
日本語「ヨシ」に関してアルタイ系からは「ヨ（良）キ」に相当する朝鮮語 dyoh- 、
「ヨロ・シ」に関してモンゴル語 jol:幸運/吉兆 、jolgo-/jolga-:当たる／合う 、古代チ
ュルク語 jol:道／運命 、joluq-:合う などを上げてある説がある。
日本語「ウ（飢）エ」に関して、アイヌ語語源分析では u-e:お互いを食べる であり、
アイヌ語と共通な言葉に「危機」、「飢饉」も kik/kiki , kikin もある。大森貝塚を発見し
たE.モースは貝塚の中に食べられた人骨が入っていることで人喰い人種を想定し、日本人
の祖先をアイヌ人とことなるプレ・アイヌ説をとなえて、シーボルト親子のアイヌ説と論
争を展開した。日本語の「ウエ」は明らかに「飢饉」時の状態を証明しているのではない
だろうか。
アイヌ語 wen:悪くある 、日本語「ワル（悪）シ」に対して、
wen < ue-un:「ウエ」（の状態が）ある
warusi < ue-ruy-usi :いつも「ウエ」激しい
などの語源説を想定し、日本語「ヨ（良）シ」に対しても
ヨシ yosi < i-o-usi :いつも獲物が多い
など、危機意識の高かった古代人の生活感が良し・悪しの語源になっているのではない
だろうか。
アイヌ語 pirka/pirika:良い/美しい であるが、意味は少しずれるが南島祖語 *pilih
:選ぶ からの派生語である。日本語「ヒロ（拾）フ」は古く pirip と考えられ、南島祖語
にもどる。この表には容れていないがタガログ語の pili? の意味は「沢山のものの中から、
最良のものとして選ばれたる」ということで「拾う」、「優れた」などの意味とも関係する
ことが分かる。
これらのアイヌ語に対する判定結果を次表にまとめてみた。
表 6.スワデッシュの基礎語彙No.97 good:良い に関する比較結果
アイヌ語 pirka/pirika しか、南島祖語および南島語諸語との関係は見あたらないが、この語に関す
る限り南島語系と言えるであろう。